突然ですがみなさんは、桑がどのような姿形をしているか思い浮かべられますか?おそらくほとんどの人は首を横に振るでしょう。
それほどまでに現代において桑は地味な植物ですが、このコラムで桑の恐るべき想像を超えたチカラを知れば、きっと桑という存在が脳裏に焼き付いて離れなくなることでしょう。
古代中国が見つけた桑のチカラ
桑のチカラはおよそ2000年前には発見されていたことをご存じでしょうか。「神農本草経」という300種類以上の薬となる素材の用途や効果を集録した中国最古の薬物書には、「『桑白皮(そうはくひ、桑の根っこの皮)』は患者の熱を抑え、鎮咳・去痰薬として用いられる」とあります。つまり風邪を引いた際に漢方として桑が使われ、患者の熱や咳を抑え、病原体を痰や鼻汁として体外に押し出すという効果があると記されています。
さらに漢方において桑は、上述した桑白皮のほかに桑の葉や桑椹(桑の実を乾燥させたもの)、桑の枝に皮下白汁(皮の下にある汁)までもが漢方薬として使われるという類稀なる万能性を持ちます。医療が発達し、様々な薬が開発されてきた現代ですら一定の評価がされている、中国由来の経験医学である漢方においてこれほどまでの評価を桑が受けているというのは驚きですね。
「神農本草経」には「桑の葉を陰干ししたものは『神仙茶』と名付けられ、滋養強壮や中風などに効果がある」とも記されており、なんとこの神仙茶は「不老長寿の妙薬」とまで言われています。古代中国の生命観に「不老不死」というものがあり、多くの権力者が不老不死を求めたという話は有名ですが、桑には死なないとまではいかないけれどもそれに匹敵するほどのチカラがあると言われていたのです。
日本人と桑はいつから関わりがあるのか?
日本人と桑は、実は縄文時代からつながりがあり、縄文時代にはヤマグワと呼ばれる桑の品種がすでに日本列島全土に自生していました。しかし、その頃の日本人はヤマグワから獲れる実をそのまま食用や潰して飲料としたり、幹を建築材として使用していたりとあくまでその辺に生えている植物の1つとして使用されていました。日本に薬という概念が持ち込まれたのは4世紀頃であり、薬としての桑の利用法はおそらくそれと同時期に伝わったと思われます。証拠として縄文後期から古墳時代前期までの千年の歴史や文化を記し、「古事記」や「日本書紀」の元となったという説もある「秀真伝(ホツマツタヱ)」にはヨモギや人参と共に桑が腹痛を癒すために飲まれたという記述があります。現代でも健康に良いとして草餅などの料理に使用されるヨモギや、高級品として名高い人参(高麗人参)と並んで使われていることからも、桑が持つチカラを伺えますね。
なお、弥生時代に中国から桑の最も有名な利用法である養蚕の技術が全国に広まったことで、実は薬効が周知されるよりもずっと前から桑は日本人と密接な関わりを持つようになりました。
コラム:世界の神話と桑
古くから人々の生活に根付いていた桑は、世界の神話にたびたびその名前を見せます。「桑が赤い実をつけるのは悲恋による血で染まったから(ギリシャ神話『ピュラモスとティスペ』」や、「10個の太陽が昇ってくる扶桑という世界樹が桑である(中国神話『山海経』)」、「イザナミが生んだ神の頭から桑の木が生えてきた(日本神話、ワクムスビ)」などいかにも神話らしいスケールの大きな話が目立つ中で、桑の薬効に触れる神話もあり、それが先述した「秀真伝」の記述です。実は桑によって腹痛を癒したのはなんとあの天照大御神の孫であるニニギノミコトなのです。桑の薬効は人のみならず神をも癒すのでした。
古代日本と桑のチカラ
薬効が伝えられたとはいえ、古墳時代以降も桑は主に養蚕業での利用がメインでしたが、それから400年以上経った平安時代に成立した辞書である「倭名類聚抄」や、日本最古の医学書である「大同類聚方」、現存する最古の医学書である「医心方」にも桑の記載があることから、400年もの間忘れられることなく伝えられてきたことが分かります。特に「医心方」には「桑は茶の木から作られるお茶と並んで漢方の基本とされるほど大事である」と書かれており、この時代でも桑は他の漢方より一際重要視されていました。
ここで、「桑とお茶が基本ということは、その両方を掛け合わせた桑茶は最高の薬なのでは?」と思った方も多いでしょうが、「医心方」の中でお茶と桑が別で記載されているということから、実はこの時代、「桑でお茶を作る」という概念が存在していませんでした。それもそのはず、そもそも喫茶という概念自体が、「医心方」が製作された平安時代になってようやく最澄や空海といった高僧によって中国から持ち込まれた文化であり、まだ一部の人々にしか普及していませんでした。さらに、多くの庶民にとって桑は前述したようにあくまで「養蚕のための植物」であり、喫茶云々以前に桑が薬になるということを知る者はほとんどいませんでした。
このように、古代日本での桑はその薬効の素晴らしさと生産範囲の広さに反して、薬としての知名度はないにも等しい状態でした。しかし時代は中世へと移り、後に歴史の教科書にもその名を残すことになる、ある一人の名僧によって桑のチカラが庶民にも広がるきっかけが作られることになるのです。
まとめ
桑は古代中国で解熱、鎮咳、去痰の薬効があるだけではなく、乾燥した葉は「不老長寿の妙薬」とまで言われるほど重宝されていました。
古代日本では日常的に使う植物として、弥生時代以降はあくまで養蚕業に必須の植物として広く栽培され、日本人と深いつながりを持ちましたが、薬としての利用法も、伝来から何百年にもわたって風化されることなく伝えられ、その薬効は神話にも記載されるほどでした。
古代とは違い現代では桑の薬効は広く知られており、様々な商品が販売されています。漢方薬の世界で「不老長寿の妙薬」と呼ばれ、神様の病すらも癒したといわれる桑のチカラ、みなさんも試してみてはいかがでしょうか?